パネル参加で思う(2)

前回書かせて頂いた金融セミナーの続きです。
パネルディスカッションのテーマは「ガラパゴスからユーフォリアへ」。
この“ガラパゴス”という言葉はいまや日本を自虐的に示す言葉として広く知られるようになりました。
素晴らしい技術があるにもかかわらず、それが海外へ普及せず、日本でしか通用しなくなってしまう状態を指し、携帯などが事例としてよく語られています。
このグローバル化時代、ガラパゴス化から脱出して、日本の発展につなげていかなければならないという考え方は至極当然だし、これは国を開いていくという意味で、菅総理の掲げる「平成の開国」にもつながる重要な事だと思います。
ただ、ここでもう一度、ガラパゴス化してしまった背景を考え直す必要がありそうです。
技術面で考えると、日本の消費者の求める水準の高さに応えてきた結果が、高付加価値でハイエンドな特殊製品として日本市場のみで確立し、それが「ガラパゴス化」と呼ばれました。
しかし、これだけ見ると、決して悪い事ではないように思えます。
一旦確立したハイエンドモデルから、付加された価値をそぎ落としてシンプルな製品を作っていくことはそんなに難しくないように思えますし、反対に、技術水準が高く、様々な特別機能を持った製品を他国が最初に作れたかと言ったら出来ないところも多いでしょう。
この高度で類まれなる技術は日本の強みとしてきちんと認識すべきだと思うのです。
パネルの中で、平野英治さんが「商品」と「製品」の違いについて触れていらっしゃいました。
日本はものづくり大国と言われるけれど、モノをつくっただけでは何も生み出さない。
日本は良い「製品」は作るけれども、「商品」を作っていないと言うのです。
良い「商品」というのは、顧客のニーズを捉えているモノ、顧客に受け入れられるモノのことで、サムスンなどはこれが出来ているということでした。
確かに世界のニーズ、特に新興国のニーズと言う事では、低価格で最低限の機能の付いたローエンドモデルかもしれません。
ここに大きなビジネスチャンスがあることは間違いないと思います。
ただ、懸念されるのは、日本企業が韓国や台湾企業といった最初から海外を目指す戦略を以て、新興国で受け入れられる製品モデルを展開している企業たちと競争し、どこまで日本の優位性を持てるかと言う事です。
日本のガラパゴス化で問題だったのは、日本企業が持っている「強み」を海外に広めていくための力が及ばなかった事なのではないでしょうか。
それは営業力だったかもしれないし、交渉力、また、標準規格を取るための根回しのようなものだったかもしれません。
技術面でのガラパゴス化と、平野さんのお言葉をお借りすれば「商品」(しかし、ここでは新興国のローエンドを対象とした「製品」ではなく、富裕層を対象にしたモデルとして)としてのガラパゴス化は別の問題だと思うのです。
敢えて日本はこの強みに特化する必要はないでしょうか。
むしろ「ガラパゴス化」するのです。
この尖った発想や製品が、世界のどこにもない「日本特有モデル」として存在感を打ち出すことは出来ると思います。
シャープがスマートフォンに「GALAPAGOS(ガラパゴス)」というブランド名をつけたことからも、この特異性を活かしていこうという戦略が透けて見えます。
勿論、外の市場に日本が合わせていくことも大切でしょう。
しかし、日本の技術やサービスなどを含めた日本モデルの素晴らしさを考えれば、外の市場が自ら“ジャパナイゼーション”していく事もあり得るのではないでしょうか。
その為に、ガラパゴス化したモノを外に知ってもらう、使ってもらう、良さを確認してもらう努力が必要なのかもしれません。