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ノルウェイの森

イメージ

本当に楽しみにしている。
いや、楽しみにしているという言葉は、もしかすると適切ではないかもしれない。
大いに失望するかもしれない、これまで描いてきた大切なイメージが壊されるかもしれない、それでも、見ないわけにはいかない・・・。

あの村上春樹のベストセラー、「ノルウェイの森」がいよいよ映画化され、12月11日から全国で公開される。
恐らく村上春樹氏本人にとっても、そして、我々読者にとっても本当に特別な作品であるこの小説が映像化されるというのは、正直、大変複雑な思いだ。
ハルキストとして、村上文学の中で好きな作品をランキングしてみたり、互いにお気に入りの作品について語り合ったりする機会もよくあるが(特に、私は外国人の友人とこれをやるのが好きだ。
やはり文化や慣習の違いによって、感じ方が少し違うような気がして面白い。そんな中で、外国の方には「海辺のカフカ」好きが多いように感じるが、本当のところはどうなのだろう?)、その「好き」とか「ランキング」とかを超えたところに、この「ノルウェイの森」という作品はあるような気がする。 いっそのこと、映像化などしないで、文学のまま、それぞれ読者の心の中に描くイメージのまま、私的なものであり続けて欲しいとの願いもある。
少なくとも、私個人にとって、この「ノルウェイの森」はそれくらいデリケートな作品である。

監督は、トラン・アン・ユン氏。
氏の「青いパパイヤの香り」を観た事があるが、映像の美しさが大変印象的な作品だったと記憶している。そういう意味での映像美への期待感は高まる。ただ、ベトナム系フランス人の方ということで、当然、言語の問題もあるだろう。記事などによると、監督がフランス語で脚本を書き、それを英語になおして、調整をしていったというから、村上作品の微妙な日本語のニュアンスがどれくらい映像として出るのか、ファンとしては心配になってしまう。

ニュアンスと言えば、海外で発行された村上作品がどのように訳されているのか、「村上文学のニュアンス」が上手く表現されているのかが気になって仕方がないことになってしまうので、読むべきではないのだろうと思いつつも、結局、無性に気になるので毎回英語バージョンも買ってしまう私。 それにしても、「ノルウェイの森」(英語Ver.)に関しては、緑の「ワタナベ君」という呼び方を、これは言語の問題で仕方がないにしても、「Watanabe」と呼び捨てにしているところや、何よりも、何故か直子の彼への呼び方(本作の中では、「ワタナベ君」である)が、「Toru」になってしまっているところが不思議でならない。何故、あえてファーストネームにしたのか?親しい間柄だから、ファーストネーム呼びが妥当であろう、などという意図的なものがあるのだとしたら、本当にファンとして困惑せざるを得ない。直子の彼への呼び方は「ワタナベ君」以外にはないのだ。それでなければいけないのだ。それは、村上作品の主人公が英語では”I”としか訳せないが、「オレ」でも「俺」でも「私」でもない、「僕」でなければならないような大切なニュアンスがそこには存在する。

いずれにしても、観るのが怖いようで、でも確認しないわけにはいかない「ノルウェイの森」の映画化。こんなにドキドキしながら待っているのは私だけではあるまい。

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