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マッキンゼーに見る論理的思考力

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昨日、フィールド&マウンテンの山田淳さんの講演を伺ってきた。
山田さんと言えば、世界七大陸最高峰の世界最年少記録を樹立した若き起業家だ。
私は今、ちょうど元マッキンゼーの方が書かれた本を読んでいるせいもあって、非常に「マッキンゼー式思考」に興味があってしょうがない。

私的に勝手に解釈すると、数学的思考であったり、論理的思考であったり、戦略的思考であったりするのが、それ式だ。
まさに私が弱い部分ばかりで、強化したいと思っていたところでもある。
しかし、相対的に見て、日本人はこの手の思考法が苦手な気がする。
それは恐らく、言語の問題が一つにあると私は思う。
それは関係ないとする説も沢山あるので、本当のところはわからないのだけれど、少なくとも私は、日本語でものを書いたり、話したりする時よりも、英語で書いたり、話したりする時の方が、論理的に物事を考えているからだ。
日本語では意味が通じたような気持ちになっていても、それをそのまま英語に直すことは不可能であったり、訳そうと思ってよくよく考えてみると、主語が何なのか、述語が何なのか、何が言いたいのかさっぱりわからないということが多々ある。

勿論、これを日本語のせいにしてはいけないし、使う人の問題であることは百も承知だ。
だからこそ言いたいのは、やはりこれからの時代、グローバルという世界で仕事がなされるときに、日本語特有の曖昧さや、または日本人という共通した価値観を持つ者たちの中だけで通じる「以心伝心」的なコミュニケーションでは成り立たないと思うということ。
グローバルという観点からでなくとも、誤解が生じてしまうかもしれない曖昧なものは、出来るだけ排除するよう、ビジネスの世界での共通言語として、上記のような思考力というのは本当に必要だと感じる(身についていないけれど・・)。

また、その他の論理的思考が育たない背景としては、論理的なコミュニケーションの方が感情的なコミュニケーションに比べて良いとされる文化がないからなのかもしれない。
感情は非常に重要なコミュニケーション手段ではあるけれども、ややもすると他に流される、空気を読みすぎるということにつながり、その弊害が出ているのは、数々の企業ニュースなどを見ても推測できるところだ。

しかし、この思考法というのは、トレーニングで何とかなりそうな気がする。
外国の方が論理的思考が出来ているといわれているのは、言語の問題もあるかもしれないが、例えば小学生などの小さいうちから、ディベートのクラスが持たれたり、人前で発言・発表する機会が頻繁に作られたりすることも影響していると思う。
日本の学校もこれからのグローバル教育として、英語だけでなく、論理的思考も取り入れてみたらどうだろうか。

では、もう既に大人になってしまっている私はどうしたらいいのか、ということだけれども、確かに難しい。
この手の思考法のプログラムなども世には沢山あるので、改めて機会を作って受けてみたいと思うが、まずは感情だけで走らないよう、自ら律しながら話したりするように気を付けている日々だ。
しかし、それでも尚、非論理的なことを話していたりしたら、どうぞ皆さん、注意してくださいね(←よくあると思います・・)。

ちなみに、冒頭で出てきた山田淳さんのお話は次回以降に是非書かせて頂きます。

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